2015年3月15日日曜日

チキンカツ味噌、ごはんM、味噌汁


私はこの呪文をあの山の上で何回唱えたことか。これは私が4年間愛し続けたカフェテリアメニューの組み合わせです。そんな呪文とともに過ごしてきた大学四年間について書きたいと思います。私の大学の4年間は本当に幸せでした。友に恵まれ、周りの環境に恵まれ、とても濃い4年間を過ごせたと思います。我ながら「APU」らしい生き方を出来たのではないかと思います。せっかくなので「任貴史」らしい部分を掻い摘んで、さらっとですが4年間の振り返りと得た教訓について書きたいと思います。

 まず、一回生のときに経験した今の自分に一番影響した出来事とそこから得た教訓を述べたいと思います。APハウスに入ってからしばらくは、夜行性になり、新しく出来た友達と朝方まで起きて語り、遊びに耽る日々でした。その時の口癖は「今日あんま寝てへん。」です。今考えると、自分の能無しさを露呈する口癖でしたが、そこにはたくさんの思い出があります。睡眠を削ってまで遊びに耽けられるのは若さの特権だと今では考えます。

 そんな若さの特権を乱用して続けていた夜行性生活の中で私はある本に出会います。高橋歩氏が書いた世界を旅する本です。当時の私には非常に刺激的なもので、「考えるな、まず行動しろ。」というワンフレーズが私の心を大きく動かしました。これを当時の私はバカ正直に信じ、SNSを通して多くの方がされているのをよく目にしていた「バックパック」に憧れを持ち始め、一回生の夏休みを利用して韓国に航空券と指さし手帳と着替えとパスポートと憧れをもってバックパックもどきの旅に出ました。今では何とも思いませんが、当時の私には地元の京都から別府に来るだけで長旅という感覚があり、韓国行きの旅は初一人海外で恐れ多いものでした。
なぜ韓国を選んだかははっきり覚えていません。ただ、全く韓国語の読み書き、会話ができないのにも関わらず、すごいドヤ顔で渡航したということははっきり覚えています。そんな思い上がりの激しい世間知らずの少年は韓国で初日から迷子になりました。その日が韓国の国民的祝日で、日本で予約して行っていたはずのゲストハウスがあいてなかったのです。路頭に迷っている時、偶然ある日本人留学生Hさんに出会います。Hさんは年が私より4つ上の東京のお兄さんでした。事情を話し、その日はHさんの留学先の寮に泊めてもらうことになりました。その晩、私の自分の行動に対する甘さ、将来に対する考えの甘さについて説教を受けました。それがきっかけで、大学入学以来続いていた自分を甘やかす生活を見直すこととなり、将来について考えなおすきっかけにもなりました。のちに述べる私が1回生後半から4回生の最後まで続けた教職課程という進路選択にはこの時のHさんとの出会いが大きく関係しています。 結果としてその旅は無事終わって帰国しました。Hさんとは今でも連絡を取っています。「出会い」は人生を変えるということを非常に実感させられる旅でした。私はまだ20数年しか生きてきていませんが、「出会いが人を変える」は言い切れることだと考えます。
 次に、私が大学生活の勉強面の軸にしていた教職課程について述べます。一回生の夏前に募集がかかり、書類選考と面接があります。定員20名の1度きりの募集でその時点で応募して受からなければいなければ取ることのできないプログラムでした。中高の英語の教員免許を取得するというものです。APUの単位に加えて50単位近く余計に取らなければなりませんでした。1,2回生は1講義を除いたネット講義を見て勉強するオンデマンド授業を中心に、また、3回生時には1年間京都の立命館大学にて交換留学生及び科目等履修生という扱いで、教職課程の勉強をしていました。4回生時には母校にて3週間の教育実習も経験しました。まず、なぜ教職課程をとったかを軽く説明しようと思います。母親が教育系の職業をしているということもありますが、高校時のあるお世話になった一人の先生に対して尊敬の意を抱き、憧れの職種となっていました。1回生のプログラム選考時は「憧れ」として、望んでいました。しかし、APUで学生生活を送っているとその元より抱いていた憧れと並行して新たなビジョンが見えてきました。それは国際学生と接する中で「英語」を使って、コミニュケーションを図り、英語を使う楽しさを伝えたいと考えるようになったことです。私の英語力はまだまだ未熟ではありますが、受験に向けての教科としての英語という枠組みを超えて、「英語=コミニュケーションツール」として、英語の楽しさを伝えられたらなと考えるようになりました。その結果として4年間継続して教職課程を取り、英語教育方面での将来を考えるようになりました。また、4年間継続できた理由にはHさんとの出会いも関係していると上で述べました。それは、Hさんとの出会いによって自分の生き方に変化があった、すなわち、出会い一つでその人の生き方に大きく影響を与える事、人に影響される側の人間ではなく、良い影響を人に与える側になりたいと私が考えられるようになったからです。このモチベーションが継続につながり、結果として3回生時の交換留学、4回生時の教育実習を難なく乗り越えることができました。3回生は地元京都に戻っての学生生活ということもあり、勉強面以外ではあまり刺激のない一年でした。というよりは、APUが刺激のあり過ぎる環境だったのかもしれません。非常に特殊な環境に身を置いて3年間学生生活を送れたんだと改めて実感しています。
 APUでしてきたサークル活動や課外活動、遊び面などまだまだ書き綴りたいことだらけですが、書けないことも多い(?)ので、それはいつかみなさんと再会した時の、焼酎のつまみとして笑い話で話せたらな、と思います。「出会いに感謝、乾杯!!!



任 貴史

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