2015年3月15日日曜日

love the life you live.


わたしの記憶はどうやら人より長く保たないらしい。つらつらと思い出を書き連ねようとしてみたものの、困ったことに記憶はどれもひどく朧げで、とても筆が進みそうにない。 けれど、この先ふと足を止めて自分の人生を振り返る度に、きっと私はこの文集を読み返すような気がしているので、卒業を前にした今この瞬間に感じていること、ぽつぽつと思い出されることなんかを文章にしてみようと思う。 
 今日は2015311日、震災から早4年の月日が流れた。 
 ちょうど4年前の今日、私は大学入試の後期日程の真っ只中にいた。いわゆる偏差値競争に敗れ、屈辱感にまみれ、凝り固まったプライドと、持て余すほどの自尊心を捨てることもできずに、地元から遠く離れたこの大学に行くことを選んだ。
CSRの可能性を探りたい」「きちんと利益を出せるフェアトレードビジネスを学びたい」「留学に一番近い国内の環境に身を置きたい」なんてもっともらしい理由で武装していたけれど、きっとただ単純に、世の中できらりと光る何者かになりたかった。社会の出来レースに敗れた今、出来るだけそこから外れた場所で。 
 あのとき期待した姿に近付けたのかと問われれば、その答えはNOだ。当たり前の如く突然スーパーマンに変身できるはずもなく、4年前の延長線上に、今の私がいる。ついこの間入学したばかり、とまでは流石に思わないけれど、時間は加速度的に、私を今いる場所から押し出しそうとしているみたいだ。
 さて、4年間の話をしよう。
 家庭の事情もあり、親からの援助を受けずに大学に行く決断をしていた私は、他人の目からすれば「バイトに明け暮れた4年間」を過ごしたことになる。
それがいいとか悪いとか言いたいのではなくて、私にはそれ以外の選択肢は無かったのだから、誇るつもりも、謙るつもりもない。しかし、お金と時間を自由にやりくりする大きな裁量権を得た私は、常に自転車操業ではあったけれど、温泉と、大好きだった洋服を売るアルバイトと、震災復興支援の活動に、時間の多くを費やしながら、基本的にやりたいことをして生きてきた。
 九州では見えない、世の中が大きくざわめくような自然災害をこの目で見たい、自分にできることを探したいと、東北には何度足を運んだかわからないし、雇用を生み出せないかと石巻に住み込んでレストランを開業する長期インターンもした。
復興も中盤になり、長期的なコミットや、精神的なケアが必要とされていると知ってからは、大分に子供達を呼んで子供キャンプを開いてみたりと、自分にできる、本当に必要とされている支援の形を模索した。
 洋服を売るアルバイトでは、学校と同じくらいかそれ以上の頻度で職場に足繁く通う中で、洋服、延いてはものづくり、ブランドマーケティング、サービスマネジメント、素材や縫製へと関心が広がり、遂には縁あって就職先も生地のメーカーに決まった。チームの中で働き、大きな物事を動かしていくことの面白さや、人の役に立つ喜びもここで学んだ。
 他にも、本を読み漁ったり、トルコや東南アジア、日本の最果てへとバックパックを背負って出かけてみたり、温泉と美味しいものを探して友人と大分を歩き回ったり、朝が来るまで友人や先輩と話し込んだり、現代アートの製作のお手伝いをしてみたりと、まあ好きなように生きてきた。
書き出していて自分でも思うのだが、はっきり言って脈絡が無い。元々気持ちに突き動かされて生きるタイプなのだが、好きだ、気になる、見たい、知りたい、会いたい、といった気持ちにとにかく従順に生きてきたように思う。未知に遭遇したとき、自分の心は何を思い、感じるのか、化学反応を見るような気分で色んな世界に手を伸ばした。
APUの環境も、そういった意味ではとても恵まれていて、国の違い、文化の違い、宗教の違い、価値観の違いが当然のようにひしめき合っていて、こちらから手を伸ばすまでもなくそれらに向き合わされた。かつてのわたしの、自分を守るためだけの薄っぺらな価値観なんてあっという間に潰されて、そこからはただ目を見開いて、眼前に広がる世界に対して寛容になるしかなかった。拒絶するのではなく、一つ一つ拾い上げては考える日々。そのうち、自分は何に感動し、怒り、悲しみ、笑うのか、際限なく掘り下げたいと思うのかわかってきて、自分の輪郭のようなものがぼんやりと見えてきた。心から大切にしたいと思える人々にも恵まれた。弱い部分も醜い部分も多いけれど、昔より今の自分の方がずっと好きだと胸を張って言える。それがこの大学に来たいちばんの収穫かなと思っている。 

 今だから言えるのだけれど、外の世界と関わる中でしか、自分は見えてこない。そして今この瞬間も、これからも、確固たる自分なんかなくて、常に世界と化学反応を起こしながら変容していく。反応が止まったとすれば、それは完成じゃなくて錆び付いただけだ。だからどんなに歳を重ねたって、目を開いて、一人風に向かって立ちたい。今見えている世界の美しさは、自分自身の心の美しさでもあるのだとどこかの本で読んだのだけれど、そう信じている。 
 どうか、優しく、柔らかく、強かに、しなやかで在り続ける努力を忘れないでほしい。 
 ここまで長々と、主に未来の自分に向けて書いてきた。青臭いでしょう?笑ってください。

 そしてそんな文章を最後まで読んでくれたあなたに、ただありがとうと言いたい。何かを感じてくれたのなら、それは私にとって、とても、とてもうれしいことだ。 2015311 APM 三浦沙耶




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