2015年3月15日日曜日

自分の価値

3回生の頃、「ふっ」と自分からRAリーダーの肩書きをとったら何が残るんだろう?と思った。周りの友人達が自らどんどん才能を開花させていっている中、自分はものすごく落ちこぼれているように思えた。なんというか、肩書きとか所属しているサークルや部活動を取っ払ったら、「岩﨑由記」という人間に価値があると回りから評価してもらえる自信がなかった。1回生の時は珍しがられた英語基準生でも、3回生になればほとんどのAPU生は英語ができるようになる。RAをやっているということで、寮生や周りからは優等生扱いをされるけど単位は落としまくり、当該GPAは過去最低の0.9をマーク。極めつけは帰国子女という自分の「identity」の喪失感。賛否両論の意見が出てくる話だが、海外から日本の学校に転向してくるたび自分が出しづらかった。いくら帰国子女っていわれても親は日本人、外見は日本人なのだから、日本の伝統と文化・習慣に適応するのが当たり前。自我を出すと外国人かぶれと思われるのがとても嫌だった。APUはグローバル大学と言われていても、逆に「日本人」の特性がよく国際学生の間で話題になるし、意外と「日本人らしさ」というものに着目しているところがある。そんな自分が胸を張って日本企業に自己アピールをできる自信なんてどこにもなかった。
周りがキラキラ輝いて見えて、自分もそうなりたかった。でも、自分が人を魅きつけるようなタイプの人間ではないことはわかっていた。じゃあ、自分が磨くべきスペシャリティーは何なのかと考えた時にチュニジアを思い出した。北アフリカのリビアとアルジェリアの間に位置するチュニジアは中学時代に住んでいた国。そこで一つ心に残っていたことはアラビア語を学べなかったこと。目に映るヨーロッパとイスラムが融合したチュニジア文化に興味を持ちながらも、学校はアメリカンスクールだった。卒論の題材をイスラム圏の女性に絞っていたこと、当時はハラルフードやアラブ圏に企業が注目していたことから、イスラム文化とアラビア語を理解できたら自分の価値が見いだせる気がして両親に頭を下げて2年間の休学生活が実現できた。


「僕達は外国人に自分達の文化を理解してもらえないってわかっているんだ。だから、この国の人達は外国人に甘い。最初から期待していないからね。」チュニジアの首都、チュニスでの休学生活が半年を過ぎた頃、ふとチュニジア人のルームメイトの1人(以後かっちゃん)がこんなことを言い出した。ルームシェアを始めて、いざこざがありながらも日本の習慣・チュニジアの習慣の違いにお互い妥協点が合いはじめてリビングでコーヒーを啜っていた時。このアジア顔というまさにチュニジア人にとって「外国人」顔で現地人扱いをされるぐらいにアラビア語とチュニジアの習慣を習得することを休学中の目標にしたいと打ち明けた時だった。「あんな肌を見せつける格好も、個人主義って掲げてズバズバ言ってくる物言いも、フランス語もヨーロッパ文化は僕らの伝統じゃない。ただ、お金を持っているし、諦めを含めて良い顔をして合わせてるんだよ。」かっちゃんを含めたルームメイト3人はチュニジアでもムスリムにとって第4の聖地として知られるケロアン出身。私みたいなアジア人顔の外国人にはムスリムでない限り、そう簡単にリアルなチュニジア人の心情を見せないと言い切られた。確かに、いくら仲良くして接していてもルームメイト達との間に見えない壁は最初からあった。それを正直に言ってくれたかっちゃん。結局、自分は日本では「日本人らしくない」日本人で、チュニジアでは「日本人」という中途半端な位置づけで終わるのか。そう思うとなんかものすごく悔しくなった。次の日から、学校以外かっちゃんについて回るようになった。ご飯を一緒に食べ、家の掃除を一緒にして、カフェに誘い誘われることが習慣化した頃、かっちゃんの方から色々チュニジア人が持っている暗黙の了解を教えてもらった。カフェはチュニジア人にとってとても大事な習慣だから、毎回断ることはその人を大切に思っていないこと。道を歩いていて、2人組とすれ違う時は絶対に2人の間を通り抜けないこと(その2人の縁を切ってしまうらしい)。おすそ分けとかで使われたお皿は、お返しの時に空で返さないこと。など今まで気づかなかった新しいチュニジア人像が見えてきた。なんか日本の習慣と似ている部分があるなーって驚いたりもした。その日からかっちゃんはチュニジア人ルールを少しずつ教えてくれた。文化を知ることで、言語も少しずつ上達していった。でも、このアジア顔に最初からアラビア語を話してくる人はいない。アラビア語で話しかけても、フランス語で返されることが多かった。APUで国際学生から日本語で話しかけられても親切心だと思って英語で返す自分がしていたことと同じだ。休学中に気づく今までの反省点もこのようにいくつかあった。休学も終盤に入った頃には、フランス語で話しかけられたら「アラビア語を学びに来ているから、アラビア語で話してください!」って言える度胸がつき、かっちゃんが日本文化・習慣にものすごく興味を持つようになった。
「ねぇ、由記。由記は自分が他の日本人から少しはみ出すことを怖がっているけど、そしたら僕達はどうなるの?」かっちゃんの言葉はいつも鋭い。ルームメイト3人が抱えている問題と私の問題は似ているようで全然違った。かっちゃん達にこそidentityの否定という概念が当てはまる。そして、イスラム教の中で最悪処刑にまで値するほどの罪:同性愛者。チュニジアが大好きで、チュニジア人として誇りを持っているのに本当の自分が受け入れられることはない。誰よりもチュニジア人としてのマナーを守り、イスラムの教えに従っても自分は拒絶される存在。でも、バレるわけにはいかないから皆の前で偽の自分を演じる。かっちゃんがこういう話を自分から話し出したのはこれが初めてだった。「皆と少し違っても、自分に似た境遇の人や理解してくれる人はいる。そういう人達をゆっくり探していけばいいんじゃないかな?」なんか、一生懸命話してもらって自分が恥ずかしくなった。今まで、自分を理解してくれていた人達を大切にできていたかな?とか自分が最初から拒絶していただけのように思えた。


この2年間の休学を含めた6年間の大学生活は、APUというグローバルなキャンパスで気付けなかったことを休学という機会で学び、また違う視点で最後のAPU生活に挑めました。休学の是非はともかく、大学生活で1回躓いた時は少し距離をおいて見てみることでまた違うステップへ一歩踏み出していけるかもしれません。

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