2015年3月15日日曜日

私の幸福理論

 大学生活を振り返ると、環境にも人にも恵まれ、本当に幸せな時間を過ごしてきたと改めて思います。地元にも家族にも、愛着心なんて湧かない冷めた人間でした。今まで離任式や卒業式で、誰かと離れることが寂しいと思ったことなんて一度もありませんでした。しかし、APU・イギリス・デンマークで、ずっと離れたくないと思えるコミュニティーがいくつもできました。このままずっと何も終わらず、何も変わらなければいいのにと思える時間を私に与えてくれてありがとうございました。社会に出てから、大学生に戻りたいなんて過去の思い出を引きずるのではなく、前に進むために、ケジメとしてここに置いて行くことにします。

1. 尊敬する人
 大学に入学してから今でもずっと、憧れている人がいます。人として本当に素敵で、国籍問わず多くの人から支持され、熱い人で何をやってもすごいのに謙虚で、追いつきたくても追いつけない人なんです。未だに、彼を越えた人に出会ったことはありません。
 1回生の秋セメスターが終わる頃、大学生活に慣れることに精一杯で、何にも結果を残せなかったと落ち込んでいた時、Facebookで世界一周中の先輩と繋がりました。スマートフォンも便利なアプリも普及していなかった当時、先輩は動画編集ソフトを使いこなして、オリジナルの動画を掲載し様々なメッセージを発信していました。先輩と比べると友達もいないし、人より秀でているものなんて何も持っていなくて、自分の姿がちっぽけなのを思い知らされました。居ても立ってもいられなくて、「私に存在価値ってありますか?」なんてメッセージを送っていました。今思えば、本当に意味がわからない行動でした。それなのに先輩はさほど絡んだことのない私に、「もちろんあると思うよ。でも自分が必要とされてないんじゃないかって不安になるのもわかる。」なんて返事をくれました。

「走り続けた先にゴールがあるんじゃないか、自分の存在価値が見つかるんじゃないかって、まだ立ち止まっちゃ行けない気がするんだ。自分が動き始めてわかったんだけど、探し始めると答えに近づけるのは間違いない。遠回りしたり、また引き返したり、いろいろ失敗するけど、それが全て自分の道になる。肯定できるようになる。その積み重ねがあって見えてくる世界を、諒美ちゃんにも見てほしい。それは与えられて手に入れるものではなく、自分で悩み苦しみ、探し求めて手に入れるもの。帰国したら、学校で会えるのを楽しみにしているよ。どっちが今より答えに近づいているか、競走ね。」

 先輩が復学するまでの半年間、黙って突っ立っている場合じゃないと早速行動を起こしました。先輩みたいな人になりたいと思っていたので、単純に先輩の真似をしようと動画編集をし出してFacebookに投稿したり、友達を増やそうとFacebookで繋がったAPU生に会いに行きました。そしたら動画を見てくれた友人が、劇団絆の広報部署でコアをやってくれないかと誘ってくれました。
 劇団絆の他には、ジャパニーズウィークの広報部署のコアになったり、映画サークルに入って短編映画の監督をして天空祭で上映したり、友人の誕生日の動画編集を頼まれるようになったり、様々な活動を通して知り合いが一気に増えました。編集した宣伝動画や写真、絵が得意でデザインを任せられたTシャツ、ポスターやパンフレットにコメントをもらうのは、今でもすごく嬉しい事です。行動することで私の存在価値が少しずつ上がっていっているのではないか、先輩の言っていた答えに近づいているのではないかと実感するようになりましたし、広報や宣伝等といった情報を発信する広告や出版の仕事なら、自分の特技を活かすことができてやりがいを感じられるのではないかと、卒業後の進路もなんとなく考えるようになりました。
 ほぼ引きこもり状態だった1回生の頃に比べると、私にとっては劇的な環境の変化でした。活動では失敗することもありましたし、人と関わることも増えたので、意見が衝突してしまうこともありました。そのため、辛いことも多かったですが、それを乗り越える重要さも強さも学びましたし、友情・信頼・成長など、乗り越えたからこそ手に入れることができた目にみえない大切なものが沢山ありました。


 先輩は、くじけそうになったときに限ってタイミングよく返信を返してくれて、常にその先輩の言葉に支えられていました。世界一周を終えて大学に復学した先輩に会いたがっている人、話したがっている人はたくさんいました。手を伸ばそうとしても届かないくらい遠い存在で、憧れている人だったので、「聞いて下さい!私、あれから頑張ったんですよ!」なんて声をあげるどころか、近づく勇気もありませんでした。先輩はそんな私を見つけてくれて、ちゃんと時間を作ってくださって、今までの話し聞いてくださいました。そこでは他にも、多くの事を教えてくださいました。

「今まで諒美ちゃんに教えてきたこと、今度は諒美ちゃんが、後輩達に教えるんだよ。」

そんな言葉を最後に、先輩はAPUを卒業されました。先輩のような人には、まだまだ程遠いです。しかし、先輩のようになりたいという思いはずっと私の軸になっていて、何かしら壁にぶつかってしまってくじけそうになったときは、先輩だったらどうするのだろうと常に考えています。

2. 国際教育実習
 卒業後の進路を見据えて、常に何かを「発信する人でいたい」と媒体を作ったりデザインしたりと、様々なサークルの広報部署に所属して活動していました。今度は媒体を挟んだ間接法ではなく、直接法で何かを発信しようと休学し、イギリスでの留学を経て、デンマークで国際教育実習を受けることにしました。

 この国際教育実習は、現地の子ども達に日本語、歴史や文化を授業で教えようというプログラムです。私はコペンハーゲンの私立小中一貫校に配属され、毎日4コマ自分の授業を実施しました。
 当初は英語が話せない子ども達と距離ができてしまい、コミュニケーションを取ることや、子ども達の興味を引く授業を行うことが困難でした。イギリスに比べてアジア人がとても少ないので、街を歩くだけで目立ちますし、英語圏ではないので、会話の内容がわからなくて自分の悪口を言われているのではないかとネガティブになることもありました。
 そこで、デンマークでは語学学校が無料なので、デンマーク語を勉強し始めました。学童保育で早速習得したデンマーク語で話しかけると、子ども達も寄ってきてくれて、新しい単語を教えてくれるようになり、少しずつ距離が縮まっていきました。デンマーク語をどんどん教えてくれる子ども達から、自分の国に興味を持ってもらう事は、誰だって嬉しい事だと気付かされました。私は「日本を知って欲しい」と、自分側の情報を押し付けてばかりだった気がします。

 デンマークで通用する授業を行うには、デンマーク人に聞いた方が早いので、先生方の意見を取り入れ協力し合い、得意の絵や動画を使って授業を行うなど工夫をこらしていきました。英語もデンマーク語も完璧ではない私にとって、写真や動画といった媒体は言語による障害を補ってくれて、当初よりもスムーズに授業を行うことができました。最終的には子ども達に、「日本が好き」「日本に行ってみたい」と言われたことに喜びややりがいを感じました。この経験から、情報を的確に伝えるために相手によってアプローチを変えること、そのために価値観の異なる人々との意見交換や協力することの大切さを学びました。そして、私は直接法より間接法の方が、より多くの人の興味を引くことができると、この経験を通して確信しました。遠い将来のことを見据え、私は「いったい何を発信したいのだろう」とも考え始めました。


3. フェアトレード
 そもそも、デンマークは国民総幸福量(GNH)が世界でも上位にランクインしている国で、日本と一体何が違うのだろうと興味があって選んだ国でした。日本の方がGNPGDPは上位なのに、GNHは低いということは簡単に言うと、経済の発展は国を豊かにするかもしれませんが、国民は満たされないのです。人の心は、何によって満たされるのでしょうか。どのようなインジケーターを用いると、「幸せ」って量れるのでしょうか。
 大きな理由に税金の使い道の違いが挙げられますが、実際にデンマーク人の家庭にホームステイして見えた、日本との大きな違いは「家族と過ごす時間」だと思いました。デンマークでは低学年の子どもの送り迎えは絶対で、法律では子どもに暴力を振るう事が禁じられています。そのため、午後4時には仕事を終えて帰宅している人が殆どで、休暇も多いので家族旅行の数も多いです。誕生日には親戚一同出席し、盛大なパーティーが催されます。日本に比べると、デンマークでは仕事よりも家族との時間を重んじられているように感じられました。心身の疲れが取れる程の休息があって、一人一人が多くの人々から愛されている、存在価値があると実感し、その目に見えないものが心を満たしてくれているのではないかと思いました。こんな素敵な習慣に多くの日本人が共感し、欲したら、日本も変わるのではないかと単純に思いました。そして、世の中別に無くてもいい物や情報で溢れ過ぎて、本当に満たしてくれる
ものが何なのか、わかりにくくなったとも思いました。 そこで出会ったのが、環境社会学の山下博美先生です。当初はあまり環境や開発には興味がなかったのですが、フェアトレード、持続可能なパーム油や干潟等、自分のことしか考えていなかったがために生まれた問題や不公平な社会を講義で知って、先進国の国民が本当に知らなければいけない情報とは、この改善しなければならない社会問題なのではないかと思いました。
 私が特に目をつけたのが、フェアトレードチョコレートでした。生活もままならない生産者からチョコレートを安く購入し、美味しい思いをしているのにGNHは上がらないなんて、我々はなんて贅沢で貪欲なのでしょうか。チョコレートって食べているときはすごく幸せだし、それがフェアトレードなら、購入して食べることで生産者が助かり、消費者も生産者も幸せになれるなんて、すごく有意義な休息時間だと思いました。このような理由から、復学後はフェアトレードを広める事と、人の幸せに繋がる活動に力をいれることに決めました。


4. 寫眞食堂
 フェアトレードのサークルに入らなかった理由は、多くの人に発信したいというのと、目の前で販売するだけでは、目の前の人にしか情報が届かないということに気付いたからです。多くの人にフェアトレードについて知ってもらうには、多くの人が見てくれる独自の媒体を作らなければいけないと考えました。そして始めたのが、私の考えた「幸せ」が詰まっている、APUの国内学生を紹介するブログ『寫眞食堂』です。

 どんなときに人は幸せを感じるのかと思いついたのが、「母校であるAPUのことをいろんな人に知ってもらう」「自分のことを知ってもらう」「夢を追いかける事を否定されないで応援される」「美味しいご飯をみんなで食べる」「甘いお菓子をもらう」でした。そんな幸せを感じられる有意義な時間が、『寫眞食堂ごはん会』です。おかげさまで多くの方々から見ていただき、長い間続けることができましたし、フェアトレードの認知度の向上に少しでも貢献できたのではないかと思います。

 寫眞食堂や今までの活動を通し、情報を発信することで、情報源側(生産者やゲスト)と生活者(必要としている人)が互いに満足することができると考え、いつかはGNHやフェアトレード等の社会問題に国民の目がいくような情報を発信したいと、就職活動では広告や制作、出版業界を目指しました。

5. まとめ
 春からWebディレクターとして、ご縁があった企業で働く事になりました。内定先は、大学生活での経験(留学、インターンシップ、語学、寫眞食堂等の活動)を全て評価してくださいました。今までの大学生活の経験は、全てに意味があったのだと改めて思います。

 ここに書いていることは、大学生活のほんの一部にすぎません。機会があれば、寫眞食堂の方にも自身の事をいつか書きたいと思っています。本当に、いろんな人に出会いました。大人になるにつれ、安定志向になるせいか、新しい環境に進むことや夢を追いかけることに物凄い勇気がいるようになりました。それでも、夢を追いかけ続けてもいいんだと教えてくれたのは、周りのみんなでした。今のあなたは、なりたかったあなたですか。私はまだ、ゴールにたどり着けていません。なりたい自分に近づけるように、これからも走り続けようと思います。立ち止まらないでください。私が先輩からもらった言葉を、そのまま今これを読んでくださっているあなたにも渡しますね。



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