2015年3月15日日曜日

深は新なり

はじめに。

 これを読んでいる人が今どこで何をしているのかは分からないが、少なくともその大半はAPUに関係する人だろう。先輩だったり、後輩だったり、たまに同期も居たりして。今から書く内容の大半は僕自身の戯言かも知れないし、人によっては温泉に浸かりながら話した内容かもしれない、スナックで鍋を食べながら議論したトピックもあるかもしれない。それでも、読み終わった時に何か発見があったり、議論の火種になりそうな事が見つかれば幸いである。早速本題に入ろう。

 APUを卒業したからと言って、何か泊が付く訳でもそれを武器に飯が食えるわけでもない。入学前も、在学中も、就活中も、卒業してからも、これはきっと変わらないだろう。何を言いたいかと言うと、所詮他所から借りてきた看板は自分の役には立たない。それがいくら立派であっても、自分自身の事をブランドとして売り込めないなら、自分を表現する活動を行っていないのだろう。そして、近い将来には食べていけなくなるだろうと想像する。こんな事を言うと、刺されたり、バカにされたり、「意識が高い」と揶揄されるかもしれないけど、大人として自立して生きていく人が意識低くてどうするのか逆に聞きたい。自分の事は自分自身でしか責任を取れないし、結局のところはどの様な人になろうと努力しているのかに尽きる。


サラリーマンは職業ではない。

 子供の頃は漠然と、サラリーマンにはなりたくなかった。新しい事をするのはエジソンの様な発明家でサラリーマンになると何も発明できなくなる、そう思っていた。今から考えると如何に視野の狭い世界に生きていたのかと呆れてしまうが、単純にその2つ以外を知らなかったのだろう。発明家かそれ以外か。13歳だったかは忘れてしまったが、家にあった「13歳のハローワーク」に出会って、夢中でページを捲っていたの微かに覚えている。この本が面白かったのは、仕事を「〇〇が好き」と好奇心で探すことができる点。芸術が好きな子、料理が好きな子、誰かを助けるのが好きな子今考えても面白い仕組みである。(現代っ子は、このページで僕の原体験を再体験できるはず。wikipedia - 職業一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E6%A5%AD%E4%B8%80%E8%A6%A7

 サラリーマンの事を今はどう思っているかと言うと、尊敬している。家庭を支える人、安全を支える人、国を支える人、夢を抱える人、夢を支える人よく考えると「サラリーマン」って言葉は、「人間」と同じ位ざっくりしている訳で、好き嫌い決めるのもおこがましい。強いて言えば、自分以外の人のために全力で働ける人は格好いいなと。税金を収める事もサラリーマンの大切な勤めでしょうが、どちらかどと言うと納税額よりはその人のビジョンに興味がある。

 僕がどんな人に成りたいか。憧れている人は沢山いるし、Facebookの宗教欄をAppleにしているのも偶然ではなく、スティーブ・ジョブズもその一人だ。彼に憧れてスタートアップのカルチャーに興味を持ったし、進学を決めるときに経営学を選んだのも彼の影響である。ただ、憧れてはいるもののその人自身に成りたいわけではない。その人の考え方を学びたいケースが多い。さらに言うと、自分の考えているビジョンを実現するために一緒に働きたい例がほとんどである。想像の範囲だった事を実現する為にも、自分には無い才能を持つ面白い人と組んで仕事がしたい。FunnyではなくInterestingの方の面白さを持つ人と。
 二年前に休学でベルリンに居た時に、在日ドイツ大使館の主席通訳官の人と話す機会があった。ドイツの首相が天皇と話すときにも通訳を行う彼女は、「(ノーベル賞受賞者の通訳について)私がノーベル賞を受賞する必要はないが、話している内容を十分に理解する必要はある」と語っていて、20年近く公務を続けている今でも週末には録り溜めたNHKスペシャルを観ていると語っていた。その姿に感銘を受け、成りたい姿があるあるのなから、憧れで終わらせずに、その姿に成るまで努力をすると決めた。



だれも、APUを知らない。

 就職活動の話を少しばかり。就活は学生にとって一大イベントである。これは間違いないし、3年生になると学内が真っ黒になるので隠しようがない。大学に入るまでは興味のあることをとことん突き詰めたら、その反対側で誰かがドアを開けてくれるんだろうなとぼんやり考えていた(笑)。少し語弊はあるかも知れないが、実社会もだいたいそんなもんだと思う。自分の持っている能力を誰かが欲しがれば、ビジネスが成り立つ。

 APU生は就職活動中にAPUの大学名がほとんど認知されていないと肩を落としたかもしれない。確かにAPUは知られていない。中小企業だと特に、相手がよっぽどの関心を持っていないと知っていることはまず無い。しかし、知られていない事はマイナスではなく、自分の話次第で何倍にでもプラスに作用すると考えている。なぜかと言うと、面接に呼ばれている段階でそれはどうでも良くて、むしろ自分をアピールする絶好のチャンスである。知らない大学の学生を面接に持ってくる会社は、それだけで面白いじゃないか。つまり、その担当者は何らかの意図があり、興味を持っているはず。そうと分かれば、あとは貴方がどんな人なのかを存分に伝えればいい。その過程で大学の紹介をするのも良いし、大学の紹介をアイデンティティとして説明するのも有りだろう。どの様に話すのかは自分次第だが、東大=ガリ勉、京大=変人、とステレオタイプに縛られるよりは自由度がきっと高いはず。

 それでも、実際には「APU=英語話せる」というステレオタイプはある。ステレオタイプと言うとおかしいが、相手は英語が話せることを期待している。外国人留学生が半分を占める大学に通っているのだから、当然と言えば当然ではあるが。少し話が逸れるが、APUに来て英語の授業を取らない学生の気持ちがわからない。留学にいけば英語伸びると同じ発想で通っているのであれば、1年生の時点で気が付いているべきなのだが


     やりたい事が、やりたい。

 英語を喋りたくない人たち以上に僕が驚いたのが「特にやりたいことがない」人々の存在だ。否定をしている訳ではなく、やりたい事がない状態を一度体験してみたい。

 やりたい事が多かったから、必然的に試した事も多かった。今思えば、通っていたシュタイナー学校の影響が色濃く出ている。ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーが提唱した音楽などの芸術を中心に添えた教育方針の学校で、1年生から12年生まで小中高一環の教育である。特殊な教育内容のため、日本では学校法人に認可されておらず、NPO法人の学校である。ただ、世界遺産を認定するユネスコからは、次世代の教育期間としてユネスコスクールに認定されている。
 そんな僕の小学生高学年の時の夢は映画監督だったらしく、レゴをコマ撮りして短編を作っていたらしい。中学生に上がってコンピュータを使いはじめると、ShadeVueなどの3DCGソフトを誕生日にねだっては、のめり込むように画面を見つめ続けたらしい(当時は、本を読んだ時間だけPCが使えるルールが導入されていた)。BlenderGIMPに出会ったのもこの頃で、PCに大きな可能性を感じていた。プログラミングよりはデザイン寄りの創作活動は当時から今に至るまで続いている。父親からは何度もLinuxなどのオープン・ソース系統の事を学ぶように勧められたが、高校卒業時の卒プロジェクトのテーマに「プログラミング」を選んでおいてなんだが、今日までプログラミング言語を習得できたとは思っていない。
 プログラミングで実現できる可能性を知った今から考えると、学んでおけば良かったと少し後悔している。ただ、プログラミングのコードを書くよりも、プログラミングで何ができるのかを考えるほうが楽しいことも分かったので、後悔は少しだけに留まっている。



就職活動は、ゲームである。

 前で就職活動の話が出たから、ここで少し自分の就活を振り返る。就職活動を始めるまで忘れていたが、大学生活は集団行動ではなく、あくまでも個人プレーの世界である。みんなと同じ事をやれば、テストでは良い点が取れるかもしれない。しかし、この先は「答えのない答えに対する答え」を求められる世界が広がっていると思う。ゲームを理解するには、そのルールを知る必要がある。ここでは就職活動をゲームに例えているので、そのルールを分解しよう。

 就職活動は、極めてシンプルなロジックで成り立っている。企業が優秀な人材を効率的に集めるために考えられた仕組み(システム、ゲーム)である。つまり、企業は大量の応募を受け付け、SPIという標準化されたテストでそれらを分類する、残った優秀な学生を面接し、その中から次年度の社員を決める。この仕組みを企業に提供しているのが、リクルートのリクナビやマイナビである。基本的に企業からの手数料(エントリーした学生の数に応じた報酬)で成り立っているビジネスなので、この時期(今年は3月からエントリーが始まった)は、学生集めに躍起になっているのだ。集まった学生を分類するツールであるSPIも彼らが開発したのだから、二度美味しいビジネスである。ニコニコ動画の川上会長が言うには、リクルートは「武器商人」である。

 僕は就職活動を否定したい訳ではない。なぜなら制度としては大変優れていて、欧米の様にインターンシップを経て仕事を見つける手間が省けるから、どんな人にもチャンスがある素晴らしいシステム。ただ、就職活動の仕組みを一面的にしか知らないと、これが全てだと考えてしまう危険な制度でもある。それが原因で毎年沢山の就活生が就職浪人をし、否定され続けて最悪の場合には自分の命に価値を感じなくなり自殺をしてしまう。冷静に考えて欲しい。就職活動が制度化される前にも就職する人は居たし、今でも制度の外で職に就く人は沢山いるだろう。就職活動は言わば新卒採用の為の活動であり、多くの学生はそれ以外に選択肢がある事を知らない。

 「就職活動=新卒採用」の方程式が成り立っている以上、これ以外の事を考えるのはなかなか難しい。会社側が創りだした「新卒神話」が学生に大きな影響を与えているのは事実。企業側が大学を卒業したばかりの若者を自前で教育して、一人前の企業人として育てるプロセスを考えると妥当である。しかし、世の中には大小様々な企業がある。毎年数百人の新卒を取る会社もあれば、新卒を取る余裕が無い小さな会社、中途採用で成り立っている会社や社員を家族のように思って終身雇用を守る会社。CMが流れたりニュースでよく見かける、一般的に大企業と言われる会社は東証一部上場の会社は、2000社も無い。


     知っている中から、選ぶほど不幸なことはない。

 就職活動が始まると、みんな知っている企業にエントリーを出す。これはごくごく自然な事で、企業名を知らないとそもそも応募できないから当然である。CMを見たことがあったり、新聞で度々見かける、親の仕事の取引先、きっかけはなんでもいい。これらの企業は一般的に大企業に定義され、その多くが東証一部に上場している。驚くことに東証一部に上場している企業数は2,000社も無い。つまり、日本中の企業の上位1%ほどなのである。多くの学生が就活を始める前は、これからの大企業しか知らないだろうから、1%の企業の中から就職先を決めようとしているのだ。

 実際にマイナビから勧められて、受ける会社もあるだろうし、合同説明会に参加して初めて知った会社も沢山出てくるはず。





     情報戦

 長々と一般的な就職活動について書いてきたので、自分自身がどの様にこのシステムと向き合ったのかを書きたいと思う。後から知った話ではあるが、僕のやり方はかなりの特殊事例らしいので、その辺りも踏まえた上で読んで欲しい。結論から書くと、行きたい業界を決め、働きたい企業の大きさを決め、どの様な距離感で働きたいかを決めた後、その業界の事を徹底的に調べた。大手企業には行きたくなかったので、人一倍業界の情報を調べる必要があった。

 具体的に書くと、「ウェブ制作会社」を志望した。何かというと文字通り、ウェブサイトを製作している会社である。元々広告業界に興味があったが、広告業界にデジタル旋風が吹き始めて久しい中、本気でデジタルに取り組んでいる代理店が見当たらなかったのが、このウェブ制作会社を志望し始めた理由である。持論として、作っている人が一番偉い。大手を独立した人が創業した会社は、大手の研修よりも学ぶことが多い。尊敬できる人が多い会社で働け。これらが持論なので、比較的規模の小さなイケてる会社を探し始めた。スーツを着たくない、30人以下の会社が良い、社長(最高経営責任者)の側で働きたい、転勤がない、職種別採用。挙げ始めると、ただのわがままのように聞こえるが、自分の人生を決めるのだから、わがままにならない方が不思議なくらい。

 就職活動は情報戦と言っても過言ではない。さらに僕の場合には、大手を志していないのだから当然情報が少ない。リクナビなどの情報サイトにも掲載料を払えない関係で探している規模の会社はほぼ載っていないない(載っているのは各種広告代理店、外資系の代理店、そしてその関係会社、子会社である)。どうするのか、他のルートで探すしかない。
 情報が少なければ、深く掘ればいい。業界研究と称して読んだ業界本のほとんどが、売上規模やシェア、世界の広告業界との比較ハッキリ言ってあまり役に立つことは書いていなかった。僕の知りたかった事は、どの制作会社がどの様な作品を作っていて、何が面白いのか。面白いことを考えている人がどこにいるのか。彼らと一緒に仕事をしたかったのだから、それに尽きる。

 幸い、広告業界では作品(広告物)に対してクレジットをしっかりと表記する風習がある。ブレーン、宣伝会議、広告批評などの業界紙、アドタイなどのポータルサイト、カンヌライオンズ(国際クリエイティビティ・フェスティバル)に代表されるような広告賞探せば、ありとあらゆる場所に表記されている。今の時代、探せばほとんどの情報は手に入る。インターネット上で手に入らなかったら、出版物を探せばいい。デジタル、プリント、デザイン、CM、屋外広告物、交通広告これらには全て毎年発売される年鑑が存在する。


 広告業界をやんわり説明すると、広告代理店がメーカーなどから仕事を受注し、CMのプランを考える。プランが出来上がってきたところで、撮影をしてくれる外部の制作会社、デザインをしてくれる事務所、ウェブサイトを作ってくれるウェブ制作会社に仕事を振り分ける。細分化され、それそれの会社は1つまたは2つの特技を持っていて、それを買われて仕事を受注する。基本的に、制作会社はあるジャンルに特化している。

 僕は、元々広告が好きだった。もっと言うと、職人が好きだったのかもしれない。写真家、デザイナー、コピーライター、プログラマー、彼らがチームを組んで1つの広告物を世に出す。クリエイティブなチームの一員として働きたい、それが広告業界を志望した大きなモチベーションだった。高校時代に演劇の授業があって、演劇は総合芸術だと身体で学んだ。脚本があって台本がある、衣装を作って大道具小道具を作る、舞台が出来上がれば照明も必要となるし、まさにチームプレイそのものである。自分にはなしを戻すと、大学時代に学内で貼りだされたポスターを作ったり、母校のための本をデザインしたり、写真を撮ってブログで公開したり、何かと広告と近いことをやり続けていた。(当時は、ただ好きでやっていただけではあるが)



     正直戦略

 他の人が就職活動を終えてから、僕は就職活動を本格化させた。5社にメールを出して、3社でインターンをし、2社から内定を頂いた。こうやって書くと、打率はかなり良いように見える。しかし、実際にはそんな事はどうでも良くて、最後に2社の間で2週間迷った方がよっぽど大事だった。メールを出した会社を絞ったのも、あまり多くの会社から返事を貰っても選べないと考えていたからで、就職活動を通して一貫していたテーマが「正直戦略」でもある。メールでも、面接でも、内定でも、ずっと正直でいようとした。就職活動で最も楽しかったのは、ズバリ社長面接だった。業界研究とかして、面接でペラペラ話しても、向こうはその業界でお金を貰って働いているプロフェッショナル。だから変にかしこまらずに、分からない事、業界の向かっている方向の疑問は社長に直接尋ねたし、予定を上回った面接時間では面白い話を沢山聞けた。



     引き出しを増やすのではなく、棚を変える。

 幼少期から人と少し違っていた。台湾に居た小学時代は、開いたマンホールから作業中の人に話しかけるのが大好きで、池のほとりを歩くせいでよく泥にハマっていた。他の人と違うバックグラウンドを持っているからか、妙に他人に似せようとしてみたり、意地でも違うことをやろうと考えたりもした。「Been different is easy, been better is hard(他人と違うことをやるのは簡単だけど、他人より優れたことをやるのは難しい)」最近、ある人に言われた言葉が妙に腑に落ちた。優れる為には努力をするしかない。

 システムはハックするためにある。しかし、システムをハックする為にはシステムを知る必要がある。就職活動も所詮はシステムである。SPIを死ぬほどやれば、良い会社には入れるでしょ。それもシステムの弱点を狙った一種のハックなのだから。もう少し付け加えると、社会にでると大学の成績(A+ABCF)以上の成績が存在すると思う。それは、物質的に金銭的な報酬である場合もあるし、やりがいというかけがえの無い無限の力に成るかもしれない。

 さて、春からプランナーとして働く。この素晴らしいまでに何も語らない職種名を最高に気に入っている訳だが、プランナーらしく可能な限り他人とは違う発想を心がけたい。会議室にプランナーが3人居る状態で、同じことを言っても全く意味が無い。つまり、発想の引き出しを増やすのではなく、棚ごと増設してやろうと企んでいる。発想なんて記憶の組み換え(遺伝子組み換え、ぽくて字面は面白い。もっと言うと、字面って字の「じ・ず・ら」も結構イケてる)でしか無いので、どれだけ他人と違う情報源と体験をするかにしばらくは命を賭けようかなと思っている次第です。



2015.3.1

生意気ですみません。
人生を楽しみたいだけです。

栗原繁須(クリハラ・ハンス)

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