2015年3月15日日曜日

救いの音楽 ロックンロール

 先日、APU生活でお世話になった先輩から連絡を貰いました。「おい、卒業文集作るぞ。書いてくれ。」と。大好きな先輩から必要とされてるようで嬉しかったけども、恥ずかしさにかまけて後日おちょろけて見ました。笑
今日はそんな恥ずかしがり屋ノゾエくんの長い長い独り言。良ければ付き合ってください。この話は18年間全て中途半端に物事を投げ出してきたしょうもない奴が、「音楽」に魅了され漫画のような出会いを体験したお話。少しでも読んだ皆の背中をそっと押せるものになれれば幸いです^^
目を閉じれば今も思い出す興奮と幸福で溢れたAPUでの4年間の想い出をここに書き記します。


 「俺らがなんでロックやってるかというと。ロックはさ、ねぇ言とかすっげぇ使ってるよ。それが受け入れられない奴は、まだロックなんて必要ねぇんだよ。でも、絶対なんか壁にぶちあたった、ロックをくとさ、こんなねぇこと考えてるの俺だけじゃねぇんだって思えるからさ。だから、俺らはおまえらのためだけにロックをやるよ。」

 こんな熱い言葉を恥ずかしげもなく言うのはELLEGARDENthe HIATUSでフロントマンを務める細美武士さん。僕の人生を変えたヒーローであり、憧れそのもの。そんな彼の言葉に背中を押され、一歩進む勇気を出させてくれ、自分の中に柱を持ち貫き通すということを教えてもらった。僕のAPUでの4年間は、彼の言葉によって支えられ、人と出会い、音楽と生きていった奇跡みたいな四年間だった。
 僕の生い立ちを話すと、沖縄県の沖縄市という米軍基地と共存する街で生まれた。中学で周りと馴染めず、孤立していく。その時に毎日音楽を聴いて救われてきた。特にELLEGARDENを毎日聴き続けて、彼らの言葉に、音に、救われていた。高校は地元から遠く離れた那覇市内の私立高校へ進学。高1の頃に1年間貯めたお金で単身東京へ。初めてのロックフェスに行った。

すれ違う人全員が笑顔。世界中の音楽が鳴っていて、人々は自由に踊り歌っていた。何もかもが衝撃で、ここは楽園なんじゃないかって思った。そこで初めてColdplayのライブを体感した。5万人をたった4人で熱狂させる彼らのステージを観て、しばらく立ち上がれなかった。「人を喜びの渦に巻き込むこんな素晴らしい仕事があるのか...」と衝撃を受けた俺は、その頃から漠然とだが、音楽業界へ進むことを決めていた。


 「大学に入ったら自分でライブを主催して企画しよう。力がついてきたら、模を大きくして自分に出来る形でロックフェスをしよう。そして必ず美さんを府に呼んでライブをしてもらおう。」そう自分の中で誓いを立ててAPUに入学した。
  入学は2011年春セメスター。生まれ育った沖縄を離れ、初めて訪れる大分の地。入学二週間前に東日本大震災が起こって、日本全体がこれから何処へ向かうのか分からない、とてつもない大きな不安に包まれていた。そんなタイミングで大学生活は幕を開けた。
  そんな中、入学式で大きく「一緒に夏フェスを作りませんか?」と書かれた「BEPPU MUSIC FesPROJECT」というライブ企画団体のフライヤーを貰う。ここで僕の大学生活をフルエネルギーで突き動かす原動力に出会ったんだ。
そこから迷わずにメンバー登録をし、8月の本番に向かって毎日突っ走った。先輩たちの話、ミーティング内容。これらは明らかに学生とか関係なくプロの仕事とやっている事は変わらなかった。毎日が勉強だったし、もっと知りたいもっと学びたいと思った。今まで味わったことの無かった「生きてる実感」っていうのが確かにあった。そして、「このまま突き進めば、本当に細美さんと一緒にライブを作ることが出来るんじゃないだろうか」という想いが日に日に増してきた。
8月のフェスを終え、先輩たちが引退し一回生主体のチームとなった。そこからは僕が代表としてこの団体を引っ張っていくことになった。そこから3年間、出会いと学びの日々だった。
いろんな事があった。1人で東京や大阪にイベンターさんを頼ってノウハウを聞きにいったこと。僕らを利用しようと近づく大人たちとの戦い。度重なって発生する問題、問題。大の大人に本気で怒られて電話越しに号泣したり
でもどんな時でも気持ちを腐らせず、信頼してるメンバーと一緒に最高のフェスを作る、それだけを信じてり越えてきました。すると、状的に化する出来事が起こりました。



『それは3年間の集大成のロックフェスを行う8ヶ月前』




20132月某日。僕は、1人地元の沖縄県で人生最大に緊張しきっていました。
地元のバンドマンの先輩の出演するイベントに、細美さんが出演し、その場を借りて憧れの人に挨拶出来るチャンスが巡ってきたのだ。
「大丈夫だ中坊の頃からこの日を夢見て毎日寝る前に妄想してきただろまず挨拶して、感謝の気持ちを伝えてぬわっ!!本人きた!!!!!」

「あの!細美さん!!」
いざ本人を目の前にすると、頭が真っ白になり、思いつく限りの感謝の言葉と、どれだけ助けられたかなど、何を言ったのか今でもしっかりは覚えていない。でも、気づくと細美さんの腕の中で号泣していたんだ
「おめーやばいなー。おもろいなー。今日は泥酔するほど飲むって決めてるからよ。夜空いてるなら付き合えよ。」
初対面の俺に向かって、遠く離れたステージ上の憧れの人が、いつものキラースマイルでそう言ってくれた。その言葉を聴いてまた泣いた。初めて腰から崩れ落ちるっていうやつを経験した。

その夜は明け方まで、浴びるように酒を飲みながら沢山の事を話した。僕がエルレやハイエイタスにどれだけ救われたか。細美さんの生き様に憧れて、どのようにして人生に影響を与えてもらったか。そして必ず細美さんとライブを作るんだという夢。全部話した。夢みたいな時間だった。
「フェスの企画書出来たら持ってこいよ。ギター1本持って歌いに行くよ」そう言って細美さんと別れた。「ありがとうございます!後日連絡いたします!」と伝えて、トンボ帰りで別府に戻った。僕みたいな鼻タレ小僧に思うことは沢山あったのだろうけど、その時は「心意気に応えてやらなきゃな」という思いで一先ず返事をしてくれたのだと思う。そして二ヶ月かけてメンバーと完璧な企画案を仕上げ、想いを企画書に下ろした。多くのアーティストに連絡した中に、細美さんにも一際一段と長い想いを込めてメールをした。
けれども、それから数ヶ月待てども、細美さんから連絡は来なかった。
「そうだよな、、、」という思いと、諦めきれない思いが交錯してやり切れない日々を過ごしていた。
本番まで一ヶ月を切った9月某日。the HIATUSが大分にライブツアーのファイナルで訪れた。もちろん僕はチケットと一緒に企画書をリュックに忍ばせてライブに行った。出演者も全て決まっていたが、終演後にもう一度お願いしに行こうと思ったのだ。
普通アーティストブッキングにかける期間は最低でも本番の3ヶ月前まで。それ以降はスケジュールが決まっているのが相場だ。でも失礼前提で、0.0001%でも可能性があるなら挑戦したほうがいいと思った。「ワンチャンスあれば儲けもん。当たって砕けろ」これは僕が大学生活で大切にしてきたことの一つである。

運良くスタッフさんに話が通り、終演後のthe HIATUSメンバーの楽屋に通された。憧れのバンドのメンバー全員が目の前にいる。緊張や感動を通り越して、「野添ってやつは幸せもんだなー」と、もはや他人事だった
5分ほどして細美さんが現れた。「久しぶり!沖縄以来だね!」と。覚えていてくれていた。
ここで改めて企画書を渡して、出演をお願いした。すると企画書に目を通し終えて、「うん、出る!ちょっと待ってろ」と言って自分のスケジュール帳を取り出してきた。「これはもしかしたら、もしかするかもしれない!!」興奮と緊張の中、一緒にスケジュール帳を覗いた。そこには「1012(レコーディング」と書いてあった。0.0001%の可能性を諦めかけた瞬間、細美さんは「ちょっと待ってろ」といって部屋を出た。細美さんは「こいつと出るって約束したんだよ」とマネージャーさんと長い間話し合っていた。

細美さんの言葉や行動には、本当に飾りっ気がない。全てを仕切っている上の人に対しても、僕らみたいなファンに対してもその対応に変わりはない。「この人は自分に対して真剣に話してくれているんだな」と思わせる力がある。それでいて物凄く身近に感じさせてくれるオーラがある。


10分ほどマネージャーさんと話し合っていた細美さんが駆け足で戻ってきた。それと同時に「ごめん!!!どうしても出れそうにない、、、約束しておいて本当に申し訳ねぇ、、、」とハグしてきた。その中で僕はまた泣いてしまった。笑 
そこでいろんな事を思い出した。周りと馴染めず毎日死ぬことばっかり考えてた事。エルレに、細美さんの音楽に出会って「なにくそ!」と気張りながら立ち向かっていった事。ライブに魅了されて、自分で企画を作り始めたこと。その他いろんなことが束になって溢れてきて、その全部を止めきれなくなって大声をあげて泣いた。嬉し涙だったのか、はたまた悲しくて泣いたのか、未だにわからないけれど、全て溢れかえった感じでした。

細美さんは強く抱きしめてくれて、「お前この先どうすんの?」と訪ねてきた。鼻声と泣き声混ざった情けない声で、「漠然としていますが、音楽業界に進みたいと思っています」と答えた。「なら、そこで必ず一緒にやろうぜ。絶対こいよ」と。それが僕が完全に音楽業界に進もうと決意した理由だ。
そして今、音楽業界へと進めるチケットを手にした。今、僕が目指すべきものは、「地元沖縄の音楽シーンに貢献する人間になる」というもの。そして今まで出会った最高のロックバンド達と沖縄でロックフェスを作るのも近い目標の一つだ。もちろん細美さんも。そして同世代のロックバンド、Dstarを日本が誇るロックバンドに育てるというのも人生の目標の一つ。



 この4年間で本当に沢山の人と出会って、感動と出会って、最高の仲間が出来た。中学の頃から大好きで、ずっと聴いて支えられてきた多くのバンドの人たちにも、嬉しながらご縁があって仲良くさせてもらっている。こんな奇跡、そうそう無い。それはどんなに悔しいことや苦しいことがあっても、自分の指針を曲げずに歩みを止めなかったからこそ、こんな非現実な喜びの連鎖が生まれたのだと思っている。
 好きな人に対して勇気を出して想いを伝える事、手が届きそうに無い夢にも可能性を信じて動く事。「もうダメだ。。。」の先に皆で行く事、それを乗り越える事。何か爪痕を残そうと必死にもがく事。そこで出会ういろんな沢山の物があなたの人生に掛け替えのない色を添えていくのだと信じている。ただでさえ少ない人生面白おかしく大好きな人達と共に作って生きていかんでどうする!自分次第で今日も明日もいくらでも変えていける。俺が変えれたんだから。大丈夫。

だから、これを読んでる皆も、ここぞという勝負の時は、恥ずかしい思いをしても勇気を出してしがみ付いていくんだよ!自分の判断や、行動一つでガラッと大きく人生は変わる。そしてその時の一つ一つの出来事がまた新しい出会いを連れてくるから そしてAPUは、そんなチャンスが多く隠れている自分を試す最高のハンティングスポットだよ。
どんなに怖くても、体の底から溢れ出る大きな気持ちがあるならば、その想いを信じて全力でな!約束!!!行く道を迷ったらちょっと怖い方へ。期待も覚悟も胸ん中いっぱいにして ほれ行っといで^^


追伸このを借りて
両親、野添・中尾家一同、かけがえのないBEPPU MUSIC Fes.PROJECTの皆、Beach House Projectの皆、RAINBOWMAN PROJECTの兄さん姉さん達、トリガーフェスの皆、APハウスメンバー、APUで出会った仲間たち、出会ったバンドマンの皆さん、APU沖縄県人会、沖尚国際コースの皆、Dstarノリトさん、ロコビッチベス男さん、けんやさん、きゃしー、千花さん、小谷さん、達朗さん、渡邉さん、虎岩さん、匹田さん、千亜季ちゃん、The Folkeesの皆。
本当にありがとうございます。皆から貰った全てをこれからの人生も、隣に置いて歩みを進めていきます。

《学生時代にこれだけは絶対に聴いて欲しい曲BEST5!》
goes on by 10-FEET

たからもの by ロコビッチ

Punk Rock Dream by Ken Yokoyama

Peace by andymori

Horse Ridding by the HIATUS



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